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前田・経塚の近世墓群
古代遺跡の発掘現場を思わせる、前田・経塚の近世墓群、下平良大名原地区です。
まるで山奥にあるように見えますが、那覇との市境に近い浦添市街地にあります。

壁面にポコポコと開いている穴が“横穴式の堀込墓”で、方言名でフィンチャーというそうです。 沖縄のお墓といえば亀甲墓(かめこうばか)が有名ですが、こうした形のお墓も存在するんですね。

ここは18世紀初頭から近年まで使用されていたそうなのですが、沖縄戦によりその多くが埋没してしまったため、一つ一つ掘り起こす作業を行っているそうです。戦後60年経った今でも、戦争の爪痕が色濃く残っていることを改めて認識させられました。

ちょうど私が訪れた日は見学会を開催していて、一般に開放していました。
さっそく潜入してみましょう。

一つの堀込墓の中には、複数の厨子甕(ずしがめ)が安置されていました。
元々は綺麗に並べられていたそうですが、戦争中の爆撃で天井が崩れ落ち、倒れたり割れたりしています。

厨子甕とは、骨を納める壷のことです。

昔の沖縄は火葬を行わず、亡くなった人の遺体をそのまま墓場に納めていました。そして遺体が骨になるのを待ち、数年後に血縁関係者が遺体を墓場からとり出し、骨を洗い清めたうえで厨子甕に納めていました。これを洗骨と呼ぶそうです。

沖縄に住む人たちの血縁関係の強さを物語るエピソードだと思います。
※今は火葬です。

現時点で84もの墓の存在が確認されていますが、そのほとんどは所有者が分かっていないのだそうです。

戦時中は壕としても利用されていたそうで、地下通路も作られていました。

かつて沖縄本島中部から上陸した米軍は、日本軍司令部のある首里を目指し南へと進攻しました。日本軍は首里への進軍を阻止するべく、その北側に位置する浦添近辺で水際の攻防を繰り広げます。 浦添城址近辺や嘉数高台を始めとして、この周辺に数々の戦跡が残っているのはこのためです。

遺体と一緒に徳利やかんざしを納めていたそうですが、戦時中に持ち込まれたと見られる日用品も散乱していました。

発掘調査が終わると、ここは取り壊されるのだそうです。

2005/01/31